十八屋杢右衛門と川北の村々

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十八屋杢右衛門は木曽の白木・白木製品の販売、さらに桧笠の卸売問屋をしていたが、その他に、味噌・溜の醸造、米や大豆など穀物、塩の販売(取締方)、金融業なども行っていたと言われている。十八屋の木曽川北(恵那郡北部)との商業活動について、天保一一年(一八四〇)の「北方大福帳」によって調べると次のようである。商業活動の範囲は、苗木城下、日比野村、瀬戸村、上地村、田瀬村、坂下村、上野村、福岡村、蛭川村、加茂郡黒川村に及ぶ苗木遠山領と、裏木曽三か村(加子母村・付知村・川上村)と木曽田立村の尾張領にまで及んでいる。中でも苗木遠山家の御用をつとめると共に、その家中への販売、貸付が多いことである。取扱っている品物は、塩、大豆、味噌、溜、油、白・黒砂糖、うどん粉、そば粉、菓子、味醂などの食品・調味料類、木綿、布、縞、かすり、紬、麻、縮緬、小紋、白絹、綿などの繊維製品、墨、筆、硯石、紙のような文具、扇子、うちわ、手拭、風呂敷、元結、白粉、おはぐろ、水引、糸、針などの小間物、畳糸、黒縁、紺縁、こも糸など畳の材料、釘、釘はね、庖丁のような金物、桐油、荏油のようなものに至っている。
 苗木遠山家の御用としては、次のようなものが記録されている。
 
 御用  …御裃 木綿 晒 鉄砲 大豆 鉄火鉢 火鉢 片口 土びん かや 莨 そば粉
 御二階 …白砂糖 黒砂糖 綿 どびん 紺縁 縁下紙 畳糸
 表納戸 …御用麻
 小納戸方…小袖綿
 御用塩 …二・四・九・一〇・一二月合計して四二俵
 御用釘 …大六寸 四寸五分 三寸五分 五寸 紺縁 琉球
 
などである。
 十八屋杢右衛門の取扱い商品の中でも、重要なのは塩である。その塩の販売を知る手掛りとして、市運上についての記録を見る。嘉永六年(一八五三)の塩一三三二駄分の塩運上が、五五貫五〇〇文、豆運上が五貫二四〇文、合計六〇貫七四〇文である。金に換算して八両三分二朱と三九〇文である。嘉永七年(安改元年=一八五四)は、塩八六六駄の運上が三六貫八〇文 金にして五両一分と三八〇文となる。安政二年(一八五五)は、塩一、三八一駄二俵の運上が、金八両一分二朱六〇五となっている(田口家文書)。これらの点から、嘉永~安政ごろの間家は少くともおよそ八五〇駄から一四〇〇駄の塩を取扱っていたことがわかる。このように十八屋杢右衛門の商業活動の部分像が浮き上がって来たが、ここからでも、非常な多角経営であったことがわかる。
 ちなみに十八屋の商業活動については、同家の系譜図によると、三代目の時代に「妻の望により初めて商法を開いた」といわれている。三代目の妻は享保二年(一七一七)没であるので、十七世紀後半から十八世紀の初め頃に商業を始めたものと推測される。なお十八屋の屋号については、商業を始めた三代目の妻が、俗名を二九といったので、これに因んで屋号を十八屋といったと伝えられている。