江戸期には、各領、各宿村、ある地域内だけで通用する紙幣が発行されていた。「十二番銀札百目預り中津川庄屋所」とあるから、中津川村の庄屋が発行していた銀札が通用していたことがわかる。「百目預り」ということは、銀百目と交換できる兌換券であったと思われる。また「来卯正月十九日迠通用」と期限つきであった。銭札の方も「銭百文 中山道 中津川」という文字が見えるから、中津川宿で発行したものであろう。時代は下るが明治二年(一八六九)発行の銭札は、「従鵜沼落合迠之内通用」とあるから、東美濃九か宿内で使用されたようである(すべて尾張徳川家領)。金札については実物は未見であるが、嘉永三年(一八五〇)の「伝馬金請取渡控帳」(田口家文書)に「十二月廿日 金礼弐両 文十渡…」とあり、金札の文字がしばしば出て来る。この金札は、中津川宿村で発行したものか、尾張徳川家で発行した藩札であるかは明らかではない。
Ⅵ-73 銀札 (尾沢久志氏蔵)
Ⅵ-74 銭札 (尾沢久志氏蔵)