附 渡役之儀 連印ニて相受候筈 若途中ニて取放候ハハ 行司之者立入 間懸不申様取斗可申筈 二月ゟ十月迠月々朔日ニ毛附ケ致候 若中途ニ馬売替仕候ハハ 以前可申断事
寅十二月十二日
附り 受役 春ニ成 相対ニ又渡致候儀一切不相成候筈 無拠義有之候ハハ 其段行司ヘ相断 差図之上相渡可申事
伝馬役を請負者に連帯で委託し、受託した上は、若し年度の途中で放棄するものがあったら、行司役が立会って、伝馬役が中断しないようにすること。毎月一日に馬の検査をするが、途中で買替える時は前もって報告すること。契約後に個人接渉で他の馬に伝馬請負を譲渡してはならないことなどを取り決めている。これらの取り決めは、嘉永七年(改元安改元年)一二月一二日に、翌年の分について行われている。従って前年の一二月に次年度の伝馬役請負の契約をし、取り決めたものと考えることができる。
安政二年(一八五五)の伝馬役の請け渡しの契約は、次のように決定された。
伝馬役渡
一 丸役 清兵衛分 羽間 半兵衛 支配
一 三右衛門分 岩井 助七
一 佐五右衛門分 同 人
一 小佐衛門分 中川 万兵衛
(中略)
一 利左衛門分 善((吉)カ)兵衛 印
一 兵左衛門分 勝野 七兵衛 印
〆 三十三役
伝馬
一 半役 作右衛門分 義 八 印
一 孫兵衛分 勘 十 印
一 小兵衛分 岩井助七印
(中略)
一 九郎左衛門分 半 十 印
一 弥五左衛門分 柳右衛門
〆拾八役
一 丸 立 五 役 市馬
一 丸 立 弐拾七役 伝馬四拾弐役より相立
〆 三拾弐役
内
三拾疋 定立
弐 疋 待馬
卯年行司
治郎左衛門
市左衛門
(森家文書)
丸役三三役と半役一八役の両方を合計して、丸立で四二役の伝馬役があったのであるが、安政二年(一八五五)は、そのうちから二七役を出役させ、その上に市馬を丸立で五役出役させ、合わせて伝馬三二役を宿立馬として常備することに決めている。伝馬役四二役のうち二七役の伝馬役人が、安政二年に出役する伝馬役としてそれを請負せることになり、印判を押捺している。これを伝馬役渡と言っている。
この伝馬役丸立三二役というのは、伝馬三二匹ということである。その三二匹のうち、三〇匹を「定立」として日々の継立に向け、二匹を「待馬」として不意の用に備えて待機する馬に決定している。
伝馬役の請負はどのように行われたのであろうか。
請役名前覚 | 一 四疋 | 持馬二疋 | 文十 | 一 一疋半 | 持馬一疋 | 久右衛門 | ||||
一 二疋 | 持馬一疋 | 三右衛門 | 一 二疋半 | 同二疋 | 友右衛門 | 一 二疋 | 同一疋 | 冨士吉 | ||
一 四疋 | 同二疋 | 又助 | 一 二疋 | 同一疋 | 松之肋 | 一 一疋 | 同一疋 | 安吉 | ||
一 一疋 | 同一疋 | 徳兵衛 | 一 三疋 | 同二疋 | 惣吉 | 一 一疋半 | 同一疋 | 為助 | ||
一 一疋半 | 同一疋 | 浅吉 | 一 一疋半 | 同一疋 | 鍋吉 | 〆三拾疋 持馬弐拾疋 | ||||
一 三疋 | 同二疋 | 牛兼 | 一 一疋半 | 同一疋 | 乙吉 | (森家文書) |
これは安政二年(一八五五)の伝馬役の請負についての契約のうち、請負の内容が書いてある部分である。請役者の三右衛門は自分の持馬は一匹であるが、二匹の伝馬を請負っている。以下請負者は全部で一五名である。その一五名の持馬は合計二〇匹であるのに、三二匹の伝馬を請負っている。一二匹の不足分については、各請役者が自分の不足分を雇いあげるか、何れかの方法で補充したものと考えられる。
伝馬役人やこれらの請役者の守るべき「掟」は次のようであった。
掟
一 人馬共御役大切ニ相勤可申事
一 泊荷物出立之刻限 宵に申触候通無遅滞相詰可申候
一 昼通行之分も一度触遣候ハハ 早速罷出可申事
一 於途中ねたりかましき儀一切申間敷候事
一 往還之旅人ニ対し喧嘩口論仕間敷事
一 隣宿役人え対しふ(無)礼之儀仕間敷候事
一 御番所前通行之節 唱など謡ひ通り申間敷事
一 人馬役之者共相互ニ実意ニ致 仮初ニも口話高成義申間敷事
右之通精々申付可相渡候 若心得違之者有之ニおいてハ 半途ニ而も請役取放 地親之者ゟ急度相立可申事
(「附り」の部分 省略)
一 毛附之儀 三月朔日ゟ十月迠毎月朔日相改候筈
立合 (両問屋・月番年寄 伝馬行司両人 馬差両人)
[八幡飛脚定飛脚] 荷物二月ゟ九月迠 日之入迠ニ荷物皆着キ候ハハ 為付可申事 (森家文書)
中津川宿で泊る荷物については、翌日の出発の時刻が前日の晩に知らされるが、昼間到着した荷物については、その時に知らせが行くから、遅れないよう伝馬役に出ること。八幡飛脚と定飛脚の荷物は、二月から九月迄の間、日の入り迄に荷物がつけば、次の宿駅まで継立ねばならないことがわかる。請役者がひいて出る馬については、三月から一〇月までの間は毎月一日に、馬の毛の色つやを見て四〇貫の荷物を運ぶ本馬として使用できる馬が所定の三二匹そろっているか調べて帳面に記入することが行われた。その他仕事中の諸マナーについて心得が示されている。
請役者の抱馬士についてみることにする。「請役名前覚」(前々頁)の惣吉の場合、持馬二匹で三匹の伝馬を請負っているが、一匹分は鍋蔵という抱馬士を持っていたことが記録でわかる。鍋蔵については次のような一件があった。安政三年(一八五六)正月のある朝、鍋蔵が落合宿から到着した荷物を、中津川宿で継立てて運送中、千旦林村の坂本立場で小付荷物が一個たりないことに気付き、引返して調べたが見つからなかった。そこで宿役人と共に詫(わび)状を書いて、荷物才領に差し出したことがあった。その詫状の中に「中津川宿 宗吉抱馬士 鍋蔵 印」と書かれている(市岡家文書)。このように請役者は自ら馬士をしながらまた馬士を抱えていたことがわかる。