宿立人馬数

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前項までに見て来た伝馬の数は、嘉永・安政年間のもので、定立馬は三〇匹、待馬(囲馬)が二匹、合わせて三二匹であった。これは嘉永元年(一八四八)に道中奉行の役人・荻野寛一らが廻宿して来た時に、中津川・落合両宿の役人とその助郷村の代表らが話し合ってきめた取決めにもとづいている(為取替證文後述)。中山道の各宿駅で常備すべき歩行役と伝馬役の数は、寛永年間以降は五〇人、五〇匹が原則であったが、中津川宿ではどのようであったか。ここでは人馬数のうち、主に伝馬の数を中心に時代を追って考察する。