東美濃九か宿の訴え(延宝三年)

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延宝三年(一六七五)三月中山道の落合宿から鵜沼宿までの九か宿の問屋が連判し、尾張徳川家の郡奉行に訴えた「尾州へ御救金訴訟下書弐通」によると、大要次のとおりである(市史中巻別編参照)。
(1) 延宝二年(一六七四)の不作によって、人馬ともに疲労衰弱していて、四〇貫の一駄荷物を運ぶことのできる馬は一宿に五~一〇匹である。馬を新たに購入したり、軽尻馬を買い替えて本馬五〇匹を揃える代金、当座、馬と馬方・人足が生きのびるための資金、即ち草木が刈り取れるまでの飼料代、大豆が実る旧暦七月末までの飼料用大豆代、旧暦三月一〇日頃から、麦の実る四月一〇日頃までの人足五〇人分の扶持米代、同じく馬方の扶持米代等の救金を拝借したいと嘆願している。そのため宿毎に救金拝借の明細書を別冊で添付する。
(2) 当座の救金を拝借しても、山坂難所の多い当木曾路の運送に耐え得る頑丈な伝馬五〇匹・人足五〇人を揃えることは困難であるから、伝馬三六匹・人足三六人の常備規定にして欲しい。
(3) 御定の宿立人馬五〇人・五〇匹を揃えても、当地方の中山道では、平生駄賃稼ぎをするための運送の仕事がないので、馬の飼育料・馬方や人足の生活費が賄えない。それが一番困ることである。
 この時に、中津川宿が添付した拝借金の明細書を表にすると、Ⅵ-79表のようになる。伝馬五〇匹・人足五〇人を揃えるために、当座資金として合計額二一八両二分の拝借を、尾張徳川家の郡奉行所に嘆願している。伝馬を揃え飼育するのに多額を見積っている。

Ⅵ-79 中津川宿の御救金拝借願拝借明細書(延宝三年)