本陣に休泊するのは大名だけではなく、勅使 院使 宮 門跡 公家 旗本その他、本陣で休泊するのが原則であった。
本陣は宿によって相違はあるが、天保の調査では、東海道が一宿平均二・一軒で、中山道・奥州道中で一宿平均一・一軒、日光道中で一軒、甲州道中で〇・九であった(宿駅・児玉幸多)。中山道わけてもこの付近は一宿一軒が大半を占めていた。本陣のみで収客しきれない場合とか、本陣に支障の出来た際、大名・高家が宿泊する旅宿で、本陣の代用となる旅宿が脇本陣であった。この脇本陣の数も前掲書によると、東海道で一宿平均一・三軒、中山道一・五軒、日光道中一・三軒、奥州道中で一・一軒、甲州道中が一軒で、数は本陣同様宿により異なるが もっとも多いのは一宿一軒であった。
中津川・落合両宿とも本陣・脇本陣は各一軒あり、その位置はほぼ宿内の中央に位置していた。中津川においては、現在の市街地で位置関係をみると、中津川電報電話局の位置(道路から建物に向って右側寄り部分)に脇本陣があり、道路を隔ててその向いあいに本陣があった。現在では当時の面影は勿論、その旧跡さえわからない位の変貌ぶりである。
Ⅵ-90 中津川本陣付近図