構造・規模

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本陣は宿駅の中でもひときわ壮観を添える建物で、門構え玄関を備えているのが一般的であった。まずその建坪は、享和元年(一八〇一)の「御分間御絵図御用宿方明細書上帳」(市岡家文書)によると、中津川宿の本陣・脇本陣は「本陣凡建坪弐百八拾三坪 門 長屋 玄関附 脇本陣凡建坪百廿八坪 玄関 門構御座候」とある。その後の記録と考えられる「宿村大概帳」(年代不明・一九世紀中頃)にも、「中津川宿本陣凡建坪弐百八拾三坪 門構玄関附 本町壱軒 脇本陣凡建坪百弐拾八坪 門構 玄関 本町壱軒」とある。中津川宿の場合、本陣・脇本陣共に門構え・玄関つきであり、本陣は脇本陣の約二倍の広さを持っていたことがわかる。この屋敷地については当然年貢は免除になっていた。
 本陣間取図や修復にかかわる諸記録によって、中津川宿の本陣のようすをみることにする。入口には門があり、両脇は長屋になっていて五軒分あり、門の右手の一軒分は問屋場(問屋年寄が輪番で詰め、馬指・人足指・帳付等が出勤し人馬による継立を行った)になっていた。門を入ると表庭で右手に長屋があり、その奥が廐(馬屋)になっていた。表門の正面には内玄関と縁三間半の荷置場があった。内玄関を入ると表之間で、六畳の間が二間あった。その奥が台所「御台所立つ」の時など貴人一行自らが調理した所か、食膳を調える御膳所があった。さらにその奥が勝手向きで、勝手台所・納戸・みそ部屋等があり、八畳間が四間ほどあった。
 廐と荷置場との間には内庭への入口があり、裏庭へと通じていた。裏庭には長屋や土蔵があり、廐から裏庭は、高塀で囲まれていた。
 一方表庭の左手に中門(内門)があり、入って右手に板敷で一坪の番所があった。前の庭は高塀でかこまれていた。土壁(白土塗・黄土塗)腰板付で、その屋根は板葺であったと察せられる。
 玄関があり、その奥に玄関之間(一八畳・床之間長さ二間)が、次いで三之間(一二・五畳、雪隠・中庭がつく)、次之間(一〇畳・入側-五畳-と濡れ縁)、中之間(一〇畳)、中之間の次之間(七畳半)、上段之間とつづいている。上段之間は、九畳で床之間(畳敷一畳)、上畳が二畳おかれ備後表、大紋縁つきであった。壁は帳付壁(板に紙を貼った壁)で六坪半あった。上段之間には入側(一間帳の通路四畳)とその奥に湯殿・上り場・小用所・雪隠がついていた。入側の外には濡れ縁があり、庭があって高塀になって、御退道の門戸があり、非常の場合は大泉寺へ避難できるようになっていた。屋根は「取葺」とあるから、枌板で葺いてあったと考えられる(天保二年御本陣御修覆願書より)。

Ⅵ-91 中津川宿本陣間取図