本陣・下宿への分宿

1274 ~ 1275 / 1729ページ
大名達の通行の規模とその宿泊の情況は、天保一二年(一八四一)五月、彦根井伊家が中山道を通行し、中津川に宿泊した折の宿割帳によって概要を知ることができる。領主は本陣に止宿し、それを上宿というのに対して、家臣が宿泊する宿を下宿といい、それぞれに宿泊した家臣の数と宿賃等がわかる。
 本陣には大名の外、馬取・釜屋・料理方等が隨伴して宿泊している。五四〇人という大部隊であるので家臣はそれぞれ脇本陣、宿役人、旅籠屋、商人屋、その他一般にまで合わせて五五か所に分宿している。
さらに別の何人かが宿泊するので、納得の上で相宿をしなければならない事もあった。

井伊掃部頭直亮 中津川宿宿割 (天保一二年(一八四一)五月一八日)