一般の旅人は一夜泊りが原則で、道中奉行よりの宿心得廻状写(延宝二年(一六七四)一一月一三日カ)によれば、「一 旅人二夜共泊り候ハヾ町中相改慥ニ無之者一切留置申間敷候 縦所之者たりといふ共不見届者庄や五人組寄合相改慥ニ承届指置可申候 若隠置悪事出来候ハヾ庄屋五人組迠可為曲事之事」(古来入用書付留帳)とあるように理由もなく逗留することは許されなかった。このようにしてあまり旅人の身許をたしかめた結果、一人旅の者には危険視して宿を貸さないようになったので、貞享四年(一六八七)七月二七日には道中奉行より 一人旅人にも一夜は宿可仕の触が出された。「……壱人旅人に宿借シ自然六ケ敷儀も有之候得は如何と存吟味不仕 押なべて壱人旅人ニハ宿借シ不申様ニ相聞へ不届ニ候 自今以後不審成者にて無之候ハハ壱人旅人たりといふ共 一夜泊りハ宿可仕候 急用有之軽いたし往行可仕者もあまねく可有之候 道連も有之重キ旅人ゟ壱人旅人ハ一入心をも添不自由ニ無之様可致事ニ候……」(古来入用書付留帳)と一人旅の者でも不審でなければ宿泊させよう、心を付けて不自由のないようにしてやることを旅籠屋に命令している。