旧宿場内の町並は、ほぼ東西に延び、江戸方(がた)に造られた枡形の遺構を曲がると宿はずれになる。この宿に平行して流れる落合川は木曽川と合流しており、木曽谷へ入るには、宿はずれから落合川を渡らなければならず要害の地となっている。
落合から馬籠へ行くには、十曲峠など急坂を歩かねばならず、更に妻籠へ足を伸ばすと、標高八〇一mの馬籠峠を越すが、落合宿とこの峠の標高差は約五〇〇mにも及ぶ。落合の宿場は同一等高線上の平坦な場所を選んでつくられているが、落合村全体は、前山(一三五一m)、梵天山(六九六m)、南沢山(一五八七m)、男埵山(一三四二m)と、木曽山脈の山々の裾野が落合川へ、また木曽川へなだれ込む斜面に見事な棚田を形成し、宿を除く小集落が点在していた。中津川宿へは上金と与坂の坂を上り下りしなければならず、二つの坂はかなりの急傾斜できつく、また苗木領との境になる木曽川の対岸には、高峰山(九四五m)が行く手を阻むかの様に立ちふさがっている。このすり鉢のような地形の中で、落合宿の成立を考えるとき、それを解き明かす確かな史料に乏しいのが実情なのである。