目次
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第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-
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第六章 宿・交通
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第四節 中津川・落合両宿の助郷
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一 助郷
加助郷と当分加助郷
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加助郷と当分加助郷とは、助郷の村々の増加をはかり、その増加分の村をいう。
文久元年(一八六一)に和宮の下向があり、同二年参勤交代制がゆるみ、同三年には諸家妻子の通行が多くなった。その上、同年には将軍徳川家茂の上洛もあった。この時期に、助郷村々連名の嘆願として、飛驒方面の助郷課役のない村(手明(てあき)村)を中津川・落合両宿の助郷に当分加えて、助郷課役の村の負担を軽減して欲しいと申し出ている。これが加助郷又は当分加助郷である。