Ⅵ-128表に見られるように、慶応元年(一八六五)の資料が幕政時代の伝馬の状態(継ぎ数五回、人足四人、本馬二一匹、冬の御用金の輸送のみ)を示しており、夏道、冬道の原則が守られたと考えられ、脇街道の場合でも伝馬の増減は、政治の動きとは無関係ではなかったようである。
Ⅵ-128 飛州伝馬の月別回数と月別人足・本馬数
飛驒における政治的な動き
(1) 元治元年(一八六四)飛驒郡代の交替 福王三郎兵衛→高柳小三郎
(2) 慶応二年(一八六六)飛驒郡代の交替 高柳小三郎 →新見内膳
(3) 慶応四年(一八六八)一月新見郡代江戸へ逃る 二月竹沢鎮撫使着任
(4) 明治二年(一八六九)梅村騒動 三月梅村高山県知事 苗木に逃れ失脚 宮原監察使着任