岩村領松平家中山道見分の負担

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和宮下向にあたり道路整備を下命された岩村領主松平家では家老・郡奉行などが道つくりの見分監督に何回か岩村を発っている。その都度次のような文書で飯沼村へ負担を命じている。
 
            覚
 一 駕籠人足三人 黒岩猪太夫   上下五人
 一 駕籠人足三人 柳沢源二郎   上下五人
  右ハ来ル五日岩村出立 中野村(恵那市)へ為籠罷越候間 人足申付条 無遅刻限岩村より可伺可申候 此廻状早々相廻し 留村迠可相返候 以上
    酉九月二日                                  吉田 泰蔵
 
 ついで、
 
文久元年九月 三日駕籠人足九人 持物人足二人 夜道の道具を用意すること 駕籠人足三人 持物人足一人
 同年 九月 五日駕籠人足六人 この他に松平家の役人二〇名分の人足 なおこの役人の中には中野村より中津川宿まで行く者もあり その人足負担も含む
 同年 九月一一日駕籠人足三人 物持人足一人 岩村六ツ時立ち分 駕籠人足三人 物持人足一人 岩村四ツ時立ち分
 同年一〇月 三日駕籠人足六人 岩村昼立 賄支度用意
 同年一〇月 四日合羽人足四人 馬三匹 岩村早朝出立で藤村・中野村まで 駕籠人足一四人(なかに東野中津川宿往来人足の負担を含む)
 同年一〇月一〇日駕籠人足一八人 岩村九ツ立ち 中野村まで
 同年一〇月二二日駕籠人足一六人 岩村朝六つ中野村まで   (飯沼村和宮様御下向諸事書留帳)