茄子川村鯉が平、藤井久左衛門によって書かれた「金毘羅道中記」を、あらまし紹介したが、一行のうち丈之助(中川)の中津川在住を除いて、長八郎(篠原)平五郎(鈴村)は、茄子川村に居住し、久左衛門は久々利方、長八郎は山村方の庄屋を務めており、四人は共に五五日間の旅行ができる富裕な階層であり知識人でもあった。その四人は五条で、中山忠光ら天誅組による五条代官所襲撃のことを聞いた。元治と改元されたこの年の七月一九日、彼等が滞在していた京都で禁門の変が起き、「どんどん焼け」により民家約二万五千世帯と神社仏閣が約五〇〇戸も焼けた。また、一一月二七日「水戸天狗党」が、彼等の家の前を通り過ぎ去って行った。西国旅行の見聞を通して、世の中の激しい移り変りをより身近に感じたに違いない。その彼等が禁門の動乱や天狗党の挙兵をどう見たか。生活とのかかわりをどう考えたかは興味あることではあるが、残念ながら、それを語る史料がないのが実情である。
この旅行に使われた諸費用や買物は、Ⅵ-144表の様になっている。その諸費用を現在ならいくらと換算する向きもあるが、その物の価値が時代によって違うので適当とは思わない。広岡鷹見家所蔵の「万覚帳」の中から元治元年(一八六四)の米値段[岩村相場]などを掲げるので参考にされたい。
(十一月)・米値段 金拾両ニ付 米壱俵六分 但シ平均値段 ・綿壱把代 銭四百文位ヨリ四百七十弐文位 ・大豆・小豆 銭百文ニ付 五合四勺位 ・塩壱俵代 壱貫四百文位 但六貫目也
Ⅵ-144 金毘羅道中 諸入用覚 元治元年(一八六四)一月~三月