「濃州徇行記」には「支村川上は又中村の南にあり 川上川に沿て小径あり 本郷より行程大凡一里ほど隔つ 寛政元酉年の洪水にて川の両岸決壊し大石など山腰より崩れ落ちたる所をびただしくあり されば今は此村への道もあしくなり雨天には渓水泛溢して往来なりがたし 然し村人採薪を専生産とし本郷へ売出す故牛馬常に通行し さして嶮渋なる道にはあらず 地頭よりも洪水の後道直しありて山の中腹に石をたたみよく道をつくりたる処もみへたり-」とある。間酒造の東、横町から南へ向かう恵那神社への道は川上道とも云われ、川上への往き来に使われた。