室町期において連歌から派生した俳諧(俳諧の連歌といった)は、二条良基、飯尾宗祇らによって芸術的に高められ、和歌を圧倒した。しかし、制作上の規約の窮屈さが依然としてあったため、松永貞徳が制約打破をめざして貞門風を起こし、寛永一〇年(一六三三)頃隆昌を極めるに至った。また、西山宗因は一段と自由奔放な作風を提唱し、いわゆる談林風として延宝年間の俳壇を席捲し、庶民層への滲透は飛躍的に拡大した。更には、殆ど制約に捉われない雑俳が生まれ、学のない下層階層にまでも流行するようになり、松尾芭蕉の蕉風が確立する元禄以降においても、都鄙において隠然たる勢力を示していた。蕉風が名実共に俳壇を牛耳るようになったのは、芭蕉没後その門人たちの伝播活動のたまものである(尾形仂編・蕉風山脈)。