目次
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第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-
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第七章 文芸・教育
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第一節 文芸
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二 俳諧
中津川俳諧の先駆
1513 ~ 1514 / 1729ページ
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中津川の俳人が初めて文献に現われるのは、延宝五年(一六七七)樋口兼頼編の談林派句集「熱田宮雀」下巻に入集している苗木の佐藤治規(はるのり)であろう。これには美濃からは関、兼山、苗木の七名が入集している。治規は白和幣という題のもとに、<神木にふりつむ雪や白にきて>のほか、別題に四句が選ばれている。彼は苗木遠山家の家臣に違いないが役職・生没年は不明である。
また、安田太左衛門征忠(ゆくただ)(号円水)は、享保七年(一七二二)五月一一日、苗木五代城主遠山友由病死の後を追って殉死する時、つぎの辞世を遺している。
化鳥にてふる巣にかへるこよひ哉
年は花こころはつぼみ身は朽葉
于時三十九才 安田円水 (安田忠亮氏蔵)
治規も円水も江戸在勤中に俳諧を習得したものと思われ、彼等が中津川俳諧の先駆者となって次第にその輪を拡げたようである。
Ⅶ-2 円水扇子(安田忠亮氏蔵)
神木にふりつむ雪や白にきて>