中津川の和歌は、俳諧のように単純明快な系譜を描き出すのは難しい。当地を訪れた専門歌人に当座の教えを乞うことはあってもそれはあくまでも生活の余技であり、歌道修業のため長い間家郷を出る人はなかった。したがってその流派の系譜も輻輳し判然としないところがある。近世末における歌壇は、大きく分けて中世の伝統を固守する堂上派(特に二条派)と、国学系の県居(あがたい)派(賀茂真淵)・鈴屋(すずのや)派(本居宣長)および反真淵をめざす桂園(けいえん)派(香川景樹)とすることが出来る。今おおよその中津川歌人系譜を作って見ればⅦ-38表のとおりである。
Ⅶ-38 中津川の歌人系譜
参考資料 麻生磯次編「古典図鑑」、遠山家文書、市岡家文書、落合郷土史資料、村沢武夫著「信濃歌道史」「伊那歌道史」、
また、市岡正兄家文書によって幕末維新期における中津川歌壇の活動状況を概観すればⅦ-39表のとおりである。この中で明らかに他所の会場と思われるものや同一会場が二つ以上の別名で記されているものもあるので、会場の実数はその表よりかなり減少するものと見なければならない。
Ⅶ-39 幕末維新期の中津川歌壇状況
市岡殷政詠草より作成した(市岡家文書)