公家・武家の来往と和歌贈答

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日光例幣使を始めとする公家・武家の歌が現実に中津川歌壇に影響を現わしてくるのは安政以後の事と思われる。当初は彼等の詠歌を享受するだけであったのが、この時代になると積極的に献詠を試みるようになる。公家・武家に嘉納され返歌を受けることはそれほど多くはなかったかも知れないが、幕末という大変革期も作用して、これまで考えられなかったような貴賤間の交流が生まれて来た。Ⅶ-55表は中津川宿本陣で受領したと記録に残る和歌の類別表である。一、二例示しよう。

Ⅶ-55 中津川宿本陣受領の公家・武家の和歌の類別表

   庭田宰相中将君やとらせ給ひけるに花にそへて
 我山のしら玉椿たをりけり八千世かはらぬ君かためとて    (殷政)
 御返し  我為に手折こころの玉椿色香をあたに見て過へき  重胤 (丁巳詠草)
  増田君(飛驒郡代)のやとりて、 むら雨のをり衣なる夕暮に心ありけのほとときす哉 とあるかへしに、
 君まちて初ねやもらす昨日まて我またきかぬ山ほとときす
 また 心あるみののを山の杜鵑このゆふくれをすこささらなん と遊はしたる。政治も先に 常ならぬゆふべをまちて杜宇をりよくもねをふりいてにけり となんこたへけらし (戊午詠草)

Ⅶ-56 庭田宰相軸(市岡正兄氏蔵)