苗木の藩校

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時代の急変に伴い、家臣の子弟の教育の必要性を痛感し、学校設立の気運がたかまった。明治元年八月一一日にいたり、仮学校所を梛(なぎ)の御検馬場と定め、教授世話方として曽我多賀八(祐申)を任命し、同時に学校世話方として石原謙次郎、岩嶋忠三郎、中島弓三の三名を任じ陣容を整え、同一三日より講習開始を命じた。
 仮学校として開校した当初は、「孝経」「近思録」「四書五経」等和漢の歴史を教科書として取り上げた。