この式内社は、総計三一三二座といわれ、社二八六一処・前二七一座と分けられている。座とは祭神の数を、処とは神社の数を示す。神社より祭神の方が多くあり、合祀された場合は主となる祭神以外は「前」で表わされるが、祭神に大小はなく同格に扱われている。
また式内社は、大四九二座、小二六四〇座と分けられているが、これはその神社の格を示している。これらの式内社は、祈念祭を行うのに際して国家から幣帛(へいはく)を受けるため官社として扱われた。幣帛は中央の神社からの「官幣」と、各地の国衙(こくが)から受ける「国幣」の二種があり、
・官幣社 大三〇四座 小四三二座 ・国幣社 大一八八座 小二二〇七座
に分けられている。これは地域的に区別したもので、官幣社は宮中を含め畿内に集中していた。したがって「恵奈郡」の三座(Ⅷ-1表)は、地方の行政機関から幣帛を受けた国幣社であった(虎屋俊哉延喜式)。
Ⅷ-1 岐阜県の式内社
恵奈郡の式内三座は、近世に入りその鎮座地が考察されるようになったが、恵那郡史はそれを次のように集約している。
[坂本神社] 座地を茄子川字坂本とする(濃飛両国通史他)ものと、千旦林字鍛冶(かじや)平の現八幡神社を充てる(御坂越記大日本史他)両説がある。
[中川神社] 中津町字北野白山社をあげているが、考証の根拠となる文献などの記載はない。
Ⅷ-2 中川神社
[恵奈神社] 中津町字恵那山頂上鎮座としている。また、「御坂越記」によればとして、山麓にあたる現在の前社近辺に別当寺、殿舎があったが、天正二年(一五七四)の武田勝頼の東濃攻めにより焼失したとある。
Ⅷ-3 恵那神社(前社)