天明六年(一七八六)忍誉白雄の時に焼失、行誉本孝により再建されたが、過去帳にもその年代は記されていない。大正一五年に本堂書院が落成、昭和三六年庫裏が再建され今に至る。
本尊には、奈良時代聖武天皇の御代諸国に疫病が流行したので勅命をうけた行基が各地を巡り薬師如来を刻んで安置し病気の治療を伝授した、という由来がある。文政五年(一八二二)の控には
「本尊 薬師 行基御作、脇建 日光 月光新仏、十二神 新仏、弥陀 本造 恵心御作、観音 宮殿入」
と、当時の什物が記されているが、現在伝わる什物は、本尊、日光・月光菩薩、十二神像、弥陀がある。別に下馬庚申とも言われる庚申仏が安置されている。
境内には銅造薬師如来像を安置する三重塔、弘法堂、稲荷神社がある。
恵那中部新四国八十八ヶ所のうち第四一番札所である。
天正一三年以降の歴代住職
正誉存徹 貞誉知玄 香誉春我 梵誉廓春 通誉春廓 随誉碩門 忍誉白雄
行誉本孝 円誉了海 光誉直月 善誉性民 至誉義雄 信誉義宏 至誉義祐(現住)
Ⅷ-17 落合 医王寺