高福寺

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落合山ノ田(落合一一二九番地)に在って中央山高福寺と称する。浄土宗に属し、京都知恩院の末寺である。寺伝には円誉の開山とあり、天文一二年(一五四三)入寂と記されている。開基施主は市岡喜平次である。
 開山以来四回の新改築を経て今日に至っている。元禄五年(一六九二)一一世廓誉代に本堂改新築 寛政九年(一七九七)一五世啓誉代に再び本堂を改築明治三二年三たび改築、そして昭和五四年に現在の本堂に改新築された。
 本尊 阿弥陀如来は享保四年(一七一九)、観世音・勢至両菩薩は寛保三年(一七四三)にそれぞれ造立されたもので、仏師は木曽福島の住作内重兵衛、一二世長誉により開眼される。なお、それ以前の本尊仏も残されている。恵心作と伝えられる阿弥陀如来立像、観音・勢至両菩薩がそれである。また元禄一三年(一七〇〇)には、狩野派の筆による大捏槃図(縦二五〇cm横一八〇cm)が施主加納勘右衛門により寄進されている。
 天保元年(一八三〇)梵鐘を再鋳造するが、戦時中に供出し、現在の梵鐘は昭和四七年に新鋳されたものである。
 堂内には西国三十三ヶ所の観音像三三体と弘法大師像が安置されている。
 境内中央には樹齢四五〇余年の老松があり「臥龍の松」と呼ばれている。西側には聖徳太子を祭る石造の祠があり「筆塚」と呼ばれている。福蔵稲荷も祭られ、奉納版木には文政八年(一八二五)一七世教誉により造立、豊川稲荷を神体として勧請したと記されている。年に一度祈願祭が催される。別に玉依姫や中津川地区周辺新四国八十八ヶ所四〇番の弘法大師像を祀る。また、文化一四年(一八一七)の徳本上人による南無阿弥陀佛の名号碑がある。
 歴代住職
 満蓮社圓誉 信蓮社順誉 教蓮社頓誉 天蓮社眼誉 法蓮社傳誉 
 定蓮杜果誉 證蓮社誠誉 真蓮社天誉 圓蓮社鏡誉 荘蓮社厳誉 
 大蓮社廓誉 勝蓮社長誉 仰蓮社信誉 圓蓮社誠誉 緑蓮社啓誉 
 高蓮社澄誉 法蓮社教誉 興蓮社仁誉 天蓮社然誉 天蓮社然誉 天蓮社然誉(現住)

Ⅷ-18 落合  高福寺