善昌寺

1617 ~ 1619 / 1729ページ
落合下町(落合八六四番地ノ一)に在って喜翁山善昌寺と称する。曹洞宗に属し、関市下有知龍泰寺の末寺である。寺伝によれば、慶長五年(一六〇〇)以前、嶺厳首座の創建による。三代を経て延宝の頃(一六七三~八〇)井口五左衛門により、関市下有知龍泰寺二〇世鰲山正雪大和尚を開山として中興した。宝暦一三年(一七六三)九月客殿及び庫裏の普請を許可され、明和二年(一七六五)に完成した(塚田手鑑)。
 同寺は現所在地及び落合支所を含む地にあったものだが、明治二四年中山道の交通が不便となり山口街道に改修工事が行われた際、街道が敷地内中央を通る事となり、現在地に移築したものである。
 本尊は釈迦如来で円仁(慈覚大師)の作と伝えられる。本尊以外の宝物としては、道元・昭瑾両禅師の尊像及び開山鰲山正雪の像が祀られている。また大権修理菩薩・達麿大師を祀る。観世音諸菩薩三十三体ならびに弘法大師像が祀られている。他に享保一一年(一七二六)覚隣筆 釈迦涅槃像一幅、嘉永二年(一八四九)上田庄蔵寄贈による三条実美の書額一枚、山岡鉄舟書筆の襖四枚がある。
 梵鐘は文化一五年(一八一八)恵薫梅苗が新鋳したもので、銘文に「新鐘復挂」とあり文化一五年以前から懸けられていたと思われる。
 山門の右脇にある老松は「門冠(もんかぶり)の松」あるいは「路上の松」と呼ばれ、根回り二m三〇cm、高さ一〇mである。また境内にある「御膳水の井戸」は明治一三年明治天皇が巡行の際使用されたものである。昭和一〇年二月文部省史蹟に指定されたが、同二三年六月に指定は解除された。
 境内社等には金毘羅神祠、秋葉神社、杉松稲荷社、弘法大師堂、観音堂、子安観音一基がある。
 同寺は恵那中部新四国八十八ヶ所のうち第三九番目札所である。
 歴代住職
 鰲山正雪 雲崖正穏 大鼏龍髯 石厳泰梁 恵薫梅苗 大成仙麟 順懐賢光 寶洲眼光 大運督宗 大忍仙宗
 宗岸鶴堂 琢岸勝堂 江嵒要堂(現住)

Ⅷ-19 落合  善昌寺