東円寺

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市内東宮町(東宮町八番地一二号)に在って寿福山東円寺と称する。曹洞宗に属し、市内宗泉寺の末寺である。過去帳の最初は寛永五年(一六二八)で、同一一年には「当山開基春翁祖陽和尚示寂」という記録がある。寛文(一六六〇年代)以降過去帳も整っていることから、この頃に同寺の基礎が固まったと思われる。創建は不明ではあるが、祖陽を前住一二世・中興開基と称していることから、寛永以前とみられている。開山は宗泉寺三世揚外秀播である。
 前本堂は文化七年(一八一〇)六世禅諾時代に建立されたものである。
 本尊「東方出世薬師瑠璃光如来坐像」は、嵯峨天皇の弘仁五年(八一四)伝教大師作の伝承があり、藤原時代の手法を伝えるもので、大正一四年四月二七日に国の重要文化財に指定された。また「後ろ向き薬師」「出世薬師」とも俗称される。薬師如来の原由には、乗馬で通行する旅人が堂前を通過すると落馬すること、以て後ろ向きに安置するようになったこと、寛文年中に同寺へ移されたことなどが記されている。本尊以外の宝物では、金銅誕生釈迦牟尼仏などが所蔵されている。この誕生仏は像高八四cmにも及び誕生仏としては最大の作品で、昭和四六年一〇月二八日に市の文化財に指定された。
 境内には秋葉神社が祀られている。言い伝えによると、享保年間(一七一六~三五)に勝野某と菅井某が上州へまゆを買い付けに行った折、入間川を渡ろうとした際勝野某は流されたが、菅井某は秋葉さまの分身である白髪の老人に助けられた。為に菅井の一統は長船の名刀を納めて秋葉さまを勧請してきた、というものである。毎年二月一六日に祭礼が執行される。
 梵鐘は「水野家歳代記」によって、享和二年(一八〇二)鋳造されたことがわかる。現在の梵鐘は昭和五三年に新鋳されたものである。
 本尊の祭礼は毎年四月八日に行われる。薬師信仰は現在でも盛んで心願成就の祈禱が行われ、耳病・母乳のお預け・お授けなどに参詣者が訪れる。
 同寺は恵那中部新四国八十八ヶ所のうち第四四番札所となっている。
 寛永以降の歴代住職
 揚外秀幡 春充行回 豊山大年 光山禅明 籌山祖海 応山禅諾 豊雲大年
  大民禅智 寒岩仙静 希年彭運 大興良年 玄宗大道 大法龍禅 大山邦道
  松山進昭(現住)

Ⅷ-20 東宮町 東円寺