元禄一〇年(一六九七)大洪水により被害を受けたため、七世玄定は伽藍の復興を計画し境内地を南西の高台に移して、享保一二年(一七二七)に諸堂が落成した。大正一四年八月落雷により山門・位牌堂を残し諸堂が焼失した。よって現在地に移転、昭和九年までに現在の建物を再建した。
江戸時代の過去帳には、上金・北野・茶屋坂・本町・駒場・千旦林など中山道に沿う地に檀徒が存在したことが記されている。寺領は地頭山村氏が寄進したものである。
本尊の聖観世音菩薩は江戸時代の作で、作者は不明である。他に承陽大師木像・開山照庵玄光和尚木像・常済大師木像が所蔵され、また徳外の墨蹟、徳外の画像、元禄年間の筆写による正法眼蔵全巻など所蔵されている。
境内には北野天満大自在天神・白山妙理大権現・愛宕山大権現が合祀されている。天神は寛永八年(一六三一)九月一八日徳外により、白山は天正八年(一五八〇)五月一八日禅洞庵主照庵により、愛宕は享保三年(一七一八)正月一八日玄定により勧請されたことが棟札に記されている。別に津島神社も祭られ、棟札には文政元年(一八一八)に勧請されたことが記されている。梵鐘は戦時中供出され、現在のものは昭和二四年に再鋳されたものである。
札所は、恵那中部新四国八十八ヶ所のうち第七五番である。
天正創建以降の歴代住職
照庵玄光 吉州玄貞 徳外玄隆 青山玄秀 本然玄性 鏡林玄亀 月堂玄定 賀山玄豊 盛民玄奭 春国玄透
鼎州玄民 大肯玄輪 花岳玄齢 月江玄桂 壽山玄長 巨海玄舟 月潭文舟 大安祖邦 大法龍禅 大元敬道(現住)
Ⅷ-26 千旦林 大林寺