現在残されている什物は元禄時代(一六八八~一七〇三)三世春涯義瑞代以降のものであるから、元禄に入ってはじめて堂宇なども整ったと思われる。また建物のなかで最も古いのは本堂で、寛延四年(一七五一)に落慶を行っており、棟札・奉加帳などによると破損が進んだので檀家の喜捨を仰ぎ修復再建されたらしい。なお本堂は明治四三年に改築されている。庫裏は天明四年(一七八四)に再建。山門は弘化元年(一八四四)に再建、鐘楼は昭和二六年に新築。位牌堂は昭和五二年に再建された。
宝物としては本尊の他に旧本尊の聖観音などが所蔵されている。
梵鐘は元禄一五年(一七〇二)に鋳造されたものが戦時中に供出され、現在のものは昭和二五年に新鋳されたものである。
境内社としては奥山半僧房大権現・弁財天・天神の三社が祭られている。墓地には「トモゾウ様」と呼ばれる石碑があり痔に効用があると参拝者が訪れる。また中切の五百羅漢は同寺の境内仏である。
同寺は恵那中部新四国八十八ヶ所弘法大師代七番札所である。
同寺は最初法地だったものが、二代沢舟運格から九代牧童耕牛までの約一五〇年間平僧地となっていた。だから、法地に格を上げるために文政の頃苦心したと伝えられる。そのうち歴代住職のうち大和尚でないものは削られ、組み直しされている関係で、現住職で八世を数えるものである。
歴代住職
鸑州鷹鷟 大雄宗峰 天輪格豊 大晃亮眠 大道亮倫 大保亮英
大典亮雄 大鑑典雄(現住)
Ⅷ-27 茄子川 源長寺