中興開山は梅本坊住職慈船である。天文二年(一五三三)観右坊から転住した慈船が長楽寺の基礎を築いたと思われるが、天正の兵乱で武田勢に堂宇伽藍を焼き払われた。慶長二年(一五九七)梅本坊真海が四世住職となり再興に努めた。明治の廃仏毀釈により廃寺となっていたが、昭和一七年宗教団体法制定にあたり同年復興された。
本尊の十一面観音菩薩立像は寄木造りで行基作と伝えられる。昭和三九年二月二〇日市の文化財に指定された。本尊の他には三十三所観世音菩薩像、不動明王像、仁王像、歓喜天像(二宮三郎氏寄進)、風天子像(長楽寺従前より安置)、風天子像(旧風神神社本尊)薬師如来座像、北辰妙見菩薩像(内津妙見菩薩)、慈恵大師座像、地蔵菩薩(石像)、七福神像、弘法大師像が所蔵されている。また、樹齢八〇〇年余、高さ約二八m、幹の周囲七・五mの大銀杏があり昭和四二年二月一四日県の天然記念物に指定された。奈良前期の土師器も所蔵されており、昭和三九年三月二四日市の文化財に指定された。現在同寺に梵鐘はないが、これは天正の兵乱の際武田勢に持ち去られたといわれている。
恵那西国三十三ヶ所の第一三番札所である。毎年八月九日には九万九千日の祭礼が行われている。
歴代住職
慈船 常高 正栄 真海 良俊 良清 良祐 常光 教覚 圓寿 祐海 秀圓 純慶 純海 諦純 覚堪 寛海
亮鑑 慈有 慈仁 慈延 慈栄 現真道 桜井圓暹 綾全(尼) 臼井圓尚(現住)
Ⅷ-31 阿木 長楽寺