目次
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第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-
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第八章 寺社
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第二節 寺院
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三 苗木領の寺院
正岳院
1643 ~ 1643 / 1729ページ
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雲林寺大門から下りると、左手は水田と住宅地(仮称史料館建設予定地)となっているところ、ここに雲林寺の塔頭(たっちゅう)(雲林寺内の寺)である正岳院が在った。役寺として遠山家・雲林寺の諸用の取次役で、雲林寺より諸末寺法類等への諸用・応待も同院の役目であった。
この正岳院の創建ははっきりしないが、雲林寺一秀和尚の弟子玄興の始めたところであろうとされている。玄興は、美濃加茂市伊深の正眼寺を大極和尚と共に開いた人で、また正岳院、壽昌院も開き住み始終一秀和尚に付添い雲林寺を大成させた陰の功労者であった。彼の終焉の地は恐らく正岳院であったろう。正岳院の建物等については前述の祚田(廃仏当時の住持)によると、建物は九間に一三間の一棟で雲林寺法要の際などは宿坊に当てられたとしている(興廃史)。
Ⅷ-35 正岳院跡