中津川滞在

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中山道を進んだ赤報隊は、一月二四日には先鋒隊が到着し、少しおくれて本隊が来津していることが、市岡家の「御休泊留記」によってわかる。今その記事内容を紹介すると、
 
 慶応四辰年(正月廿四日)綾小路様御先鋒様 桜井常五郎様 石川渡り(亘理)様御両人御泊被相成 小林安兵衛殿御出御逢座候 馬之義御頼御座候趣
(同廿五日)東山道説得使として高松様御昼被仰付候 支度廿弐人 弐百文払 菓子差上候 茶代百疋被下置候事 御先番角倉図書 木林兵庫様 御出ニ而平田御門人江談じ方御座候而御呼寄 志之者御供可仕様御談じニ候 右角倉氏御両人ハ平田先生之供 上京之御方也
(同廿六日)一番隊廿九人上下御泊之趣 大久手(瑞浪市)与為知用意ニ及候処七ッ半時頃大湫へ御引帰しニ相成 御出無之 用意不用ニ相成候
(廿九日与(より)二日朝迠)御先鋒赤報隊 相良惣蔵様御泊 俄ニ御出ニ相成候処 御人数四拾五人ニ而(て) 一汁一菜之事也勘察方御席御次之間 小荷駄方小松三郎様姶四人クツロギ 大炮方障子之間 勘定所之事 大原善之助様 戸田礼吉様日々御次之間江御詰之事 信野藤一郎様御同役之趣 明知口御役人被出候事 監察方信野藤一郎様 金原忠蔵様 書役戸田礼吉様
 
 二四日 まず二人が本陣に入り、宿泊し馬を頼み、二五日には、高松卿ら二二名が昼食を、さらに平田門人らが途中中津川の門人らを頼り協力を要請していっていることが窺がわれる。二六日には、大湫宿から一番隊が来るという知らせがあったが、こなかったので用意が不要になってしまった。相楽惣三ら四五名が急にやって来て、二九日から二月二日まで本陣に滞在し、二日の朝早く出発していった、という日程内容である。