東山道鎮撫総督は出発に先立って、次の様な布告を三通出していたことがわかる。今市岡家に残る史料によってみると、その第一は各沿道の各領主に出されたもので、「…諸藩之情実人心之向背 被為問度叡慮ニ候間 当道之諸藩主速ニ本陣江罷出 情実具陳実効可相定候 於背命之輩者 可被処厳刑者也」とあり、諸藩の情実・人心の向背を速かに本陣に罷り出て具陳せよと要求したものである。
第二は農商業者へのもので、「今回の挙は国民を救うためのものである。皆が安心して生活せよ。若し年来の苛政があれば本陣に訴え出よ。」という趣旨のものである。以上二通の布告の差出し者は総督・副総督となっている。
布告の第三は東山道鎮撫総督執筆から東山道諸国宿々村々役人共宛となっており、その内容は「八〇才以上の高令者、その他独り者は救われるし、忠臣・孝子・義夫・節婦は表彰するので役人はよく取調べ本陣へ申出よ、調査に際しては依怙贔屓のないようにせよ。」という内容のものであった。