京都生糸取引

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中津川商人の横浜生糸交易の一件については、前述したよう苦杯をなめる結果となる者もでてきた。一方期間は不明であるが、京都での糸の取引を行っていることが「大黒屋日記」の元治元年(一八六四)七~八月の頃に散見できる。「(元治元年)七月二七日曇(略)此節京都乱世につき 糸商ひ如何かと心配につき (略)」「八月一日半兵衛より手紙到来 被見致候処 此間上京の処 大七殿京都よりかへり伏見宿にて立合 其夜伏見泊り 翌二十九日に中津川へかへる 商糸調べ候処 二十八箇のうち京都出火につき焼失(略)」とあるように京都でも生糸の取引きを行っているがその内容については不明である。ただ幕末動乱期の世情不安で、商いがうまくいっていないと考えられる記事が目立つのがわかる。いずれにしても幕末期に活躍した中津川商人の姿が想像できる。