遂に天保一三年(一八四二)に武士の全給与の借り上げという非常手段が断行されたことは前述した通りである。この全面借上断行はさすが家臣たちに大きな動揺を与えた。この頃の財政事情がどのような状態であったか、限られた現存する史料によってその概況を把握したい。嘉永三年(一八五〇)の「物成在 江戸暮方拾ヶ年平均帳」は、一〇か年の平均で幕末期の財政を知ることのできる重要な史料であるので、これによってみることにする。
まず歳入の総計は米五四九九石七一九六 金五一六両一分で、これが一〇か年平均による一年分の歳入である。これをすべて米に換算すると約五八〇〇石余となり、また金に換算すると約九二〇〇両となる(嘉永三年の米価は一両に六斗三升四合替)。
また総支出は米の支出のみをみると、三七二五石二三六五で、金に換算すると凡五八七〇両余となる。次に金での支出をみると、四二四七両一分二朱となっている。従って支出合計は金で換算して、一〇一二三両余となり収支決算では差引年平均九四四両三分、米にして約六〇〇石の不足を生じることになり、財政のきびしさを感ずる。
この収支内訳についてみると、まず収入では定納米が約八八%とその主要なものであることは当然である。支出では米は家臣への手当が総収入の約四三%を占め、次いで江戸廻米・御用詰米の順となる。支出金では江戸の暮向きの必要経費が第一位を占め、次いで諸士の切符金・普請関係の諸費となっている。
要するにこうした漫性的赤字財政が続くことになる。従って幕末期の苗木領の苦しい対応が窺れる。
Ⅸ-8 苗木領一〇か年平均収支決算(嘉永三年)