第二次職制改革

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友禄は明治二年(一八六九)四月上京し、版籍奉還を認められ藩知事に任命され、七月二六日帰苗した。上京中中央官制の改革に伴い職制改革と大小参事を人選し、政府の認可を求めることを義務づけられていた。
 帰苗後、友禄は家臣一同を招集し、新政についての所信をのべ、その中で藩政改革にふれ、「就てハ 政事面ハ申ニ不及 是迠の規則制度何事も悉皆改革可致候 右ハ此度御沙汰相成候 大参事始四官之者人選致し 近日相伺候含ニ付右四官之者被仰付候ニ付 万事追々申出候積ニ候条 一同趣意柄深く相弁へ心得違之輩無之様致し度存候…」前述したように政府の官制改革による職制・四官の人選を通達した。
 一方新規職制の人選が進められた結果、同年九月、大参事(二名)権大参事(二名)・少参事(三名)・権少参事(四名)と四官一一名の候補を見ることができた。早速その旨を弁事役所へうかがいをたてたところ、権少参事一名減員で認証を得てそれぞれ任命した。
 その後数回に亘り各役職の交替が行なわれたが、明治二年一一月九日等職順次、給禄及び役給の改革が行なわれ、職制の整備がなされた(苗木藩政史研究)。

Ⅸ-16 四官職一覧


Ⅸ-17 苗木藩等職順次一覧表