中津川宿村の神葬

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中津川宿の平田門人中いち早く神葬祭へと切りかえていったのは間秀矩で、慶応四年(一八六八)五月には率先して仏壇仏具を棄て、神葬祭に切りかわっている。つづいて中津川の国学の活動メンバー達は神葬祭に切りかえていった。この事は当時の中津川にとって政治的にも経済的にも優位にあった宿役人たちの転向であっただけに、寺側は勿論民衆にも心に複雑なものを与えたと考えられる。