廃仏毀釈には当然のことながら寺側一部僧侶の中から強い抗議が起った。僧侶の中にはこうした動きの中で直接的な行動はとれないので、本山を通じて藩庁への抗議という形をとっている。加茂郡久田見村の真宗大谷派法誓寺では本山へその旨を申し出た。本山では早速僧侶を派遣し、中津川西生寺に宿泊し、藩庁との折衝を試みたが、苗木藩庁がとりあわなかったので、その抗議は空しく終ってしまった。
僧侶の中で雲林寺住職剛宗はあくまでもこの事に反対した。その間の事情については「独り彼は之を拒絶して容易に肯んぜず 藩主自ら之を勧め 且永く歴代の祭祀に仕えば扶持を給して生活を保証せむと懇諭せしも 僧形にてならば兎も角も 法衣を脱ぎての俗体にては到底尊命に副い難しとして断然之を辞退せり 藩公止むを得ず黄金三百両と雲林寺所有の仏具、什器一切を与えたれば、彼は隣村にて領外なる末寺法界寺の隠居を借りて之に移り住した」(美濃国苗木藩雲林寺一派寺院興廃史)と記している。