慶応三年(一八六七)一〇月には、大政奉還が行われ、続いて王政復古の大号令が発布された。明治政府が幕領接収に成功すると、民心の鎮撫・治安の維持にあたるため、慶応四年(一八六八)四月一五日笠松に笠松裁判所を設置し、総督・権判事二名を任命し、朝廷直領の管轄にあたった。
しかし同年閏四月二一日には新政府は地方を府・県・藩にまとめることにしたので、これによって同月二五日に笠松裁判所を廃止して笠松県と改称した。
このように維新直後の地方制度は県・藩の併置の時代であった。ちなみに中津川市内は旧領・苗木・岩村・名古屋のそれぞれに分割され治められていた。