一五代将軍徳川慶喜は大政奉還を行い、幕府にかわる新政府は成立したものの、新政府の支配は幕府直轄領と旗本領に限られ、依然として諸藩では旧幕時代のまま私領としての支配が続いていた。
そこで維新の推進役を果した薩摩・長門・土佐・肥後の諸藩が版籍奉還を奏請し、これにならって各諸領主が版籍奉還を申請した。
名古屋領は明治二年(一八六九)二月一四日領主義宣の名で版籍奉還の上奏を奉った。朝廷ではこれを容れ、六月一七日義宣は藩知事に任ぜられた。
苗木領・岩村領でもそれぞれこうした気運の中で版籍奉還を奏上し聴許され、岩村松平乗命は六月二〇日、苗木遠山友禄は、六月二三日それぞれ藩知事に任命された。