版籍奉還は実現したものの支配者は従来の旧領主・役人たちも多くは旧臣であったので、地方行政単位を再編成して中央集権の実をあげるための廃藩置県を行う気運が高まってきた。
版籍奉還から二年後明治四年(一八七一)七月一四日、天皇は在京の各藩知事をあつめ「列藩を廃して県を為す」との詔を下し、太政官は諸藩に対し「今般藩を廃シ県ヲ被置候 付テハ追テ御沙汰候迠ハ 大参事以下是迠之通り事務扱致事」とし藩知事の罷免を示達し行政は大参事に全権が委任された。このようにしてそれぞれの藩は苗木県・岩村県・名古屋県と改称されるようになった。
従って苗木県はこの旨を領内に次のように「今般藩被廃県と相成候ニ付 已来苗木県と可相心得者也」布達した。そして役所は苗木県庁と呼んだ。このようにして旧来の体制はここに名実ともに解体していった。