三代 信濃守友貞

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[寛永一九年(一六四二)―延宝三年(一六七五)] 幼名を久太夫。わずか二歳で父の遺領を継ぐ。慶安元年(一六四八)はじめて領内の宗門改をした。寛文元年(一六六一)信濃守となり、同一一年駿河加番に勤役、延宝三年伊豆国熱海で湯治中五月六日病歿。享年三五歳。法号「興雲寺殿前信州大守大宝天龍居士」。
 友貞が家督を継いだときは、まだ二歳という幼少であったので、藩主の御入用など財政経費を減らし、一方では、藩祖以来の重要政策であった新田開発には犯罪人の処罰として荒廃地へ強制移住させて開墾に従事させる方法を盛んにとった。

3代 信濃守友貞 遠山家蔵