八代 佐渡守友明(あき)

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[元文五年(一七四〇)―宝暦三年(一七五三)] 七代友央養子、幼名越之進のち友張。元文五年八月二三歳で養父友央隠居の後を継ぎ、寛保二年(一七四二)丹後守を、後には佐渡守に任ぜられた。延享二年(一七四五)友央の実子左吉[一一歳 九代藩主]を養って嗣子とした。同七月、先代五〇〇石上地田畑が、古田・新田の混在であったことから、新田分にあたる二九〇石二斗八升を新たに恵那郡下野村で上地し、佐見新田高は苗木領として還った[史料編四五~五一]。友明は、宝暦三年六月朔日(ついたち)、養父友央に先だって江戸で歿した。享年三七歳。この間常盤橋、呉服橋、日比谷御門番などを勤役した。法号「見性寺殿前佐州大守一嶽道安居士」。

8代 佐渡守友明 遠山家蔵