九代 和泉守友清

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[宝暦三年(一七五三)―安永六年(一七七七)] 七代友央の二男で、幼名左吉。延享二年(一七四五)一月、八代友明の順養子となり、宝暦三年一九歳で家督を継いだ。安永二年一一月、飛騨に大原騒動がおこり、援兵を求められた。人足として福岡村六〇人・田瀬村四八人、両村にて馬一一疋を徴発し飛騨高山までの通しを命じ、物頭神山新左衛門など総勢三五〇余人が出役した。同一二月中旬飛騨鎮圧後苗木に帰った。同六年隠居し、同一〇年正月一二日江戸で歿した。享年四七歳。法号「龍光寺殿潭厳道響居士」。

9代 和泉守友清 遠山家蔵