一〇代 近江守友随(みち(より))

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[安永六年(一七七七)―寛政四年(一七九二)] 幼名源之進、はじめ友伝(つぐ)のち友随と改名。八代友明の二男で九代友清の弟であったが宝暦五年三月友清の養子となり、安永六年一一月三一歳で家督を継いだ。天明五年(一七八五)八月から翌六年八月まで大坂加番を勤役した。こうした勤役には相番があり、このときは黒田壱岐守・本田豊後守・松平式部少輔の四人が相番であった。なお、この大坂加番のため領内からは、上納米一石につき金一分宛の御用金が徴収されている。また、撫民奨励の一つとして高山村のお文・お銀姉妹の父に仕えた孝養を、賞賜するところがあった。友随は寛政四年隠居したが、短命が多かった苗木藩主の中で、文政四年(一八二一)七五歳の長寿を全うした。法号「宝厳寺殿覚天宗晃居士」。友随には子がなく、先代友清の嫡子友福(よし)を養って嗣としたが、父に先だって歿したので、その子友寿(ひさ)を嗣と定めた。

10代 近江守友随 遠山家蔵