一一代 美濃守友寿

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[寛政四年(一七九二)―天保九年(一八三八)] 寛政四年一二月友随隠居のあとを承けて、わずか七歳で家督を継いだ。鍛冶橋門番・駿河加番などを勤役した。藩の財政は年ごとに窮乏して、家中に対しては供上米制度が布かれ、領内へは倹約令が頻発され、御用金を村々へ申し渡し調達が一段と多くなった。しかし、藩財政は好転の兆しすらなく、天保九年一一月、歴代藩主で一番永い治政を閉じた。享年五三歳。法号「聖諦寺殿前濃州大守宗嶽道猷居士」。

11代 美濃守友寿 遠山家蔵