郡奉行

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領村を支配する最高責任者が郡奉行である。苗木藩の郡奉行は、藩の上級家臣である「給人」二名が任用されその職にあたった。この役職が史料の中で出てくるのは、寛文一一年(一六七一)のことである。この時の郡奉行は、「高百石 吉田市郎兵衛・高七拾石 東庄右衛門」の二人である。安永四年には東方為右衛門・纐纈与右衛門が給人格として郡奉行に二人が登用されている。
 しかし、後期になると郡奉行を一名とし、かわりに中小姓格から「郡奉行添役」をおいて郡奉行を補佐したといわれるが、この役職が制度として定着したかどうかは断定できない。おそらく藩政が最終的に確立する時期と相前後する時期に変革されたものと思われる。
 一方、江戸時代前期には郡奉行の在任期間は長く、終身郡奉行の職に在って世襲されたと思われる者すらあるのに、後期になるとその在任期間は短く、藩重役への登竜門的傾向がうかがえる。