[四 代官の支配区域]

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 村方の直接支配を行ったのは「代官」であり、代官は藩機構のなかで郡奉行の指図をうけて、民政の直接の担当者である。正保二年(一六四五)の「苗木藩男女人数帳」[県史・史料編 近世二~九〇]には、「代官分」としてつぎの六名を数える。
一、九石 三人 安田孫左衛門
一、五石五斗 二人 宮地忠左衛門
一、八石 三人 河野権左衛門
一、五石 弐人 宮地作兵衛
一、六石五斗 三人 東野権右衛門
一、八石 三人 道山小右衛門

 また寛文一一年(一六七一)の「分限帳」[同前 近世二~九一]でも中小姓格の六人が代官に補任されている。
 ▲ 一、十石 三人 安田伝左衛門
一、八石 二人 屋代銀助
一、五石 二人 福地五郎三郎
一、八石  二人 西尾彦三郎
一、八石 二人 西尾源蔵
一、五石 二人 五嶋利左衛門

 これらの代官は、それぞれ管轄区域を担当し、管轄内の一般民政や、年貢の徴集にあたったもので、その分担区域は次のようであった[後藤時男著 『苗木藩政史』]。
 ▲ 一、地回り村々支配……… 町・日比野村・上地村
一、北方村々支配………… 黒川村・中屋村・須崎村・柏本村・久須見村・宮代村・大沢村・下野村・神土村・越原村・
有本村・名倉村・油井村・田嶋村・打尾村・広野村・若松村・久田嶋村・成山村
一、五ヶ坂下村々支配…… 上野村・下野村・田瀬村・福岡村・高山村・坂下三郷
一、中通村々支配………… 飯地村・中之方村・峯村・下立村・塩見村(飯地枝郷)・福地村・切井村・赤河村・犬地村・
上田村
一、南方村々支配………… 蛭川村・姫栗村・毛呂窪村・河合村
一、瀬戸村支配…………… 瀬戸村

の六つに分かれている。これら領村支配の体制は、享保期まで続いたようであるが、宝永七年(一七一〇)の「御巡見」記録には①地廻り村々 ②北方村々 ③五ヶ坂下村々 ④中通村々 ⑤南方村々の五つに分かれ、支配管轄が五つに減っている。ついで、
一、地廻り支配…………… 町・日比野村・上地村・瀬戸村
一、五ヶ坂下蛭川村支配… 坂下三郷・上野村・田瀬村・福岡村・高山村・蛭川村
一、南方中通支配………… 中之方村・切井村・赤河村・犬地村・上田村・峯村・下立村・飯地村・河合村・姫栗村・毛
呂窪村
一、北方支配……………… 黒川村・神土村・越原村・有本村・佐見新田・久田嶋村・成山村・油井村・名倉村・中屋村・
柏本村

の四区域となり、同時に支配村々の移動がみられる。五ヶ支配地内の下野村が天領となって消えていることから、移行時期は延享二年の下野村上知以後である。代官は四人となり、四区分制はそのまま明治維新まで続いている。
表2
   正保ニ年(一六四五)    寛文一一年(一六七一)
  高(石)   代官名   高(石)   代官名
  九・〇  安田孫左衛門  一〇・〇  安田伝左衛門
  五・五  宮地忠左衛門   八・〇  西尾彦三郎
  八・〇  河野権左衛門   八・〇  屋代吟助
  六・五  東野権右衛門   八・〇  西尾源蔵
  五・〇  宮地作兵衛   五・〇  福地五郎三郎
  八・〇  道山小右衛門   五・〇  五嶋利左衛門

(正保は人数帳、寛文は分限帳による)

 代官は常時村には詰めず、巡村および洪水・川欠などの節の巡視にとどまり、その在任期間は五年前後で担当支配区域を交替して歴任している。上表は五ヶ坂下(後期は蛭川村を加える)村々の支配の代官である。