村入用(むらいりよう)は村費のことである。村は一種の自治組織であったから、一村の諸経費は村民みずからの負担によるものが多かった。庄屋は村入用帳を備えつけ、一年間の経費をすべて記帳しておき、毎年一二月に清算して村民に割り当てた。賦課の方法は、石高割り・家並割りの二方法であったが、併用する場合が多かった。この村入用は、翌春三月収支明細を明らかにし、総百姓の連盟調印後に、代官に提出しなければならなかった。
史料編一四八は「江戸行入用払方帳」とあって、寛政一一年(一七九九)三月一一日より九月二二日までの間、福岡村庄屋三右衛門他五名分の江戸出張明細帳である。天領となった下野村は福岡村柏原山・田瀬村大萱山、用捨山の入山をめぐり、はげしく対立して山争論にまで発展した。下野村では江戸奉行所へ出訴したので、福岡村・田瀬村もこれに対応して江戸表評定所へ出廷に及んだのである。福岡村半年間余りの総支出経費のうち一二八両は町屋・上酒屋・屋敷などより借入れして、帰国後元利金の返済をしている。