一 戸口の推移

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 江戸時代の福岡町内各村の戸数や人口はどのようであったか、幕府の農民を耕地に結びつける政策によって、食糧と人口との関係が深く、米が経済の基本になっていた江戸時代では人口の増加はほとんどなかったといわれている。これは寛永二〇年(一六四三)田畑の永代売買禁止令や、延宝元年(一六七三)には田畑の細分化を防ぐため名主では二〇石、百姓では一〇石以上を持たぬ限り分地を制限した。また男女人口の差の大きいことも、この時代の特徴である。江戸中期以降、貧農の生活は苦しくなって「間引(まびき)」も、その原因の一つに挙げることができよう。間引は労働力を考慮して女児を人為的に制限する方法がしかも公然と行われている。