当地域に初めて伝馬銭が賦課されたのは、助郷制度が確立してくる江戸中期以降と考えられ、さらに中山道を除いた地方の道路(脇往還)の「飛騨街道」「黒瀬街道」による、人馬継立ての課役増大にかかわってくるのであり、助郷と伝馬制度の二重助郷といわれる農民の負担割当である。
慶応二丙寅年(一八六六)飛州伝馬賃銭書上帳では、この年一か年に、中津川宿から飛州高山への飛騨街道の伝馬割当に対する福岡村の伝馬銭四百五貫八百六拾三文が書き上げられている。
「伝馬先触れ」の実際を、安永四己未年(一七七五)の「福岡村向伝馬御触写留帳」でみると、
▲ 覚
一、内田安平様より
妹尾順兵衛様
へ
田中市右衛門様
御用状壱通宿継、帳面壱冊、駄賃銭三十六文、日比野村より受取、内二十二文、人足壱人代引
残テ、十四文
右之通り下野村へ送り申候 以上
未正月朔日 酉中刻
覚
一、人足三人
内 弐人 駕篭
壱人 分持
右は我等儀、今日昼時信州福島宿出立、飛州高山へ相越候間、宿々昼夜之人足無滞差出し可給候、尤、御定メ之賃銭相払候、且又、川越舟渡し有之場所ハ前宿より致通達無差支之様ニ取斗可給候 以上
午十二月廿九日 大原彦四郎手代 不破郡次郎
信州 福嶋宿より
中津川使より
上地通り
飛州高山まで
右宿々問屋
廿九日上松泊り、正月元日妻篭泊り、二日付知泊り、
三日小坂泊り
追て先触ハ泊り宿より高山陣へ可相届候 以上
と、正月元旦にかけて、余程の急用な先触れであったことが察せられ、昼夜遅滞なく木曽川渡し舟など予め前宿から手配するよう割当てている。もっとも、伝馬銭は規定通り払うことを先触れに記載し、この割り当てルートを伝える仕組みをもって、元旦前々日の二九日より未年正月八日の間に、田瀬村まででも計六通の至急先触れが届いているのである。
表11 慶応2年 苗木領内 伝馬大宛領内平均割表 立教大学蔵 (単位:貫)
村名 | A村掛 | B不勤村より取分 | C引残 | D内給所分 | E村出残 | F外ニ上より被下分 | G備考 |
日比野 | 1654.149 | 898.241 | 755.908 | 262.354 | 493.515 | 35.734 | |
上地 | 138.031 | 22.944 | 115.087 | 31.928 | 83.155 | 5.439 | |
瀬戸 | 172.802 | 69.969 | 8.167 | 勤高165.832 | |||
福岡 | 1283.927 | 817.446 | 466.477 | 22.250 | |||
高山 | 490.349 | 234.800 | 255.549 | 12.078 | |||
坂下合郷 | 400.954 | 108.176 | 292.774 | 13.839 | |||
〃町組 | 570.840 | 134.993 | 435.843 | 20.604 | |||
〃下組 | 471.070 | 84.648 | 386.422 | 18.265 | |||
上野 | 432.630 | 269.312 | 163.308 | 7.720 | |||
蛭川 | 833.880 | 338.253 | 495.627 | 23.429 | |||
田瀬 | 436.338 | 288.142 | 198.192 | 9.367 | 飛州伝馬加助分 | ||
中の方 | 404.656 | 391.456 | 13.200 | ||||
切井 | 262.580 | ||||||
飯地 | 226.954 | ||||||
毛呂窪 | 464.770 | 172.940 | 291.830 | 13.793 | |||
姫栗 | 500.790 | 210.595 | 290.191 | 13.718 | |||
河合 | 352.964 | 230.881 | 122.079 | 5.769 | |||
福地 | 102.279 | ||||||
赤河 | 164.286 | ||||||
犬地 | 235.609 | ||||||
上田 | 98.430 | ||||||
峰下立 | 84.062 | ||||||
黒川 | 591.124 | ||||||
神土 | 318.136 | ||||||
柏本 | 261.634 | ||||||
中屋 | 138.601 | ||||||
越原 | 231.203 | ||||||
有本 | 73.921 | ||||||
油井 | 220.444 | ||||||
下嶋 | 76.182 | ||||||
成山 | 117.500 | ||||||
計 | (7576.332) | (210.172) |