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桑は現在のような桑園方式で栽培されたのではなく、屋敷・田畑周囲・山沿いなどに植えられ、喬木(たかぎ)に仕立てられた。蚕は、田植の終った夏から秋にかけて、夏蚕・秋蚕として飼育し、繭を絹糸にして売りに出した。特に幕末横浜が開港されるとにわかに輸出用に脚光を浴び、生産も飛躍的に伸びてくる。しかし初期にはそれ程生産もされていない。わずかに糸に挽けない大繭を「かけ綿」(真綿)として、小物成に現物貢納をされており、養蚕・生糸はほとんどの村が、副業として生産されていた。